流転しない物置

不定形オブジェクトが置きたいものを置く物置

隙だらけなので深読みするスクスタ20章

そろそろ暖房の前から離れられなくなってきましたが、皆様いかがお過ごしだろうか 

今回は、あちこちで議論が紛糾しているスクスタ20章についてである。私は実装3時間後くらいに完走して「なんだよ……結構楽しめるじゃねぇか……」とスクスタを閉じたのだが、予想以上の勢いで派手に燃えててびっくりした印象がある。

それはさておき、無論私もスクスタ20章についてあれこれ考えを巡らせていたため、この際私があちこちにばら撒いてる見解・考察などを1つにまとめた。こういう使い方するためにこのブログ立ち上げたまであるからな……なお、イベランのせい多忙のためかなりの遅筆になってしまったが、そこはご容赦願いたい。

ちなみに、私のスクスタ20章に対する総合的なスタンスとしては

・実装当日にネタバレなしで完読済み
・問題点はあるものの今のところは面白いシナリオだと思っている
・展開は見ていて辛い
・ランジュは推しに行きそうなレベルで好き

以上である。いわゆるスクスタ20章肯定派に区分される部類の人間だ。ただ、上述の通り問題点がないとは言ってないのでそこら辺も最後あたりに書こうと思う。


初めに: 全体を通して

全体を通してだが、そもそも20章が序章なので全体もクソも無いというのが本音である。20章だけを見て判断するのはフルコースの前菜だけ見て「この店はこんな料理しか出せないのか!」というようなものである。せめてメインディッシュが来てから判断しても遅くはなかろう。少なくとも、悲喜こもごもあるとはいえ「このあとどうなるんだよ……」と思わせてる時点で序章としての役目は完遂していると思う。ただ展開が展開なのでこんなことになっているんだが……

しかし、今回全員へ一つの問いを投げかけることにより虹ヶ咲メンバーそれぞれへスポットを当てている点はめちゃくちゃ良いと思った。

1stSeasonでは「スクールアイドルフェスティバルを成功させる」という大義名分があったことにより、個人へ照準があうタイミングが少ない構成となっていた。これに加えて栞子の加入話としての役割も担っていたため、ただでさえ機会が少ない個人へのスポットが偏っていたのもある。その点、2ndシーズンでは虹ヶ咲にスポットを絞り、かつキャラの立場や描写・台詞から全員の行動を描いている。この点については良いと思ったし、面白いと思った。やっぱり人間の素の性格が出るのって非常時なんだなって……

悪い点としては虹ヶ咲メンバー、果てはプレイヤー間の分断を引き起こしていることだが、キャラについてはシナリオがこのまま放っておく訳でもないだろうし特に心配していない。オタク側の分断はいつものことなのでなおさらだ。ただ、特定のキャラへのレッテル貼りは行われているのは悲しさを感じている。もっともこれだって姿を変え形を変え繰り返し行われてきたことなので今更気にしても仕方がない。今もこれからも、歴史は繰り返すものなのだ。

と、大枠の話はここまでにして、ここから先は20章で描かれた各キャラの描写とかそんなところにスポットを当てつつ深掘りしていこうと思う。

 

1. ランジュの描写と人物像

まずスクスタ20章で切り込むならここからだろう。あのいきなり出てきていつの間にか同好会をしっちゃかめっちゃかにしていたランジュとかいう奴は果たして何者なのか。

結論から言おう。彼女は完璧な悪役ではあるが、悪人ではない

……まぁ実際悪人じゃないと言われても無理がある。凄まじい妨害行為までしておいて悪人じゃないと解釈する方が難しいかもしてない。しかし、実際彼女は"悪いことをしようと思って"悪行をしている訳ではない。あの傍若無人な行動の全ては、彼女なりの純粋な善意から来ているものだからだ。

20章4,5話における描写から鑑みるに、おそらく彼女は、「みんなに喜んでもらうために」「自分ルールで物事を運ぶ」タイプの人間だと推測できる。他コンテンツを引き合いに出すがFateシリーズにおける「混沌・善」に属するタイプのキャラだろう。ここの説明をすると話が脱線するためざっくり言うと、「自分ルールにおいて常に良いとされることを実行する」タイプだ。もっと雑に言うと「私が良いと思ってるんだからみんなも良いと思ってくれるよね!」と素で考えてる上に疑いを抱かないタイプである。この手のタイプは善悪の基準が常識の外になることが多いため、一般的な現代社会の物差しで測るとよくわからん行動をすることが多い。しかし、本人は良い(と思ってる)ことをしているだけなので、本人は一切ぶれない。そりゃあ本人は"良いこと"をしているので罪悪感もないしぶれる要素がない。結果個人主義で傍若無人、一歩間違えば困ったちゃんになるキャラが多い属性だ。巷では一番やべー属性とも言われている。そしてこのタイプはぶれない故に大抵止まらないし話を聞かないので、わかりあうには上手くごまかして分かり合うふりをするか殴り合ってわからせるかの2択になる。

話を戻そう。そういう視点で見ると、ランジュはこの混沌・善のお手本みたいなキャラなのだ。「自分が良いと思ったこと」は躊躇いもなく実行するし、それがみんなのためになると思って疑っていない。だから部をプロ仕様に魔改造するし、同好会も説得(社会的圧力)している。これら彼女の行動原理に納得いかない部分こそあれど、他人を害しようという悪意はほとんどない。ランジュも同好会メンバーのことは認めていると言っているし、彼女たちが目障りだから潰したいという趣旨の発言は見当たらない。あるとすれば4話ラストで「アナタはいらないの」と言ったところだろうか。まぁそこも本当にいらないからいらないって言っただけなんだろうなっていうのは容易に想像できるんだが。確かに無駄な期待を持たせるくらいならさくっと現実を突きつけた方が痛みは少ないが。そういうところやぞお前。

しかし、この"善意"だけであの行動まで突き抜けられるのが、彼女のパーソナリティだと私は思っている。

部を立ち上げて魔改造しているのもスクールアイドルをやるなら最高の環境であるべきという彼女なりの考えに基づいているだけなのだ。同好会メンバーの活動に対しても「いいわよ」と即答している(条件付きではあるが)し、「自分より魅力的なパフォーマンスができるならステージに立っても良い」とは言っている(なお「ありえないけどね」と即時否定しているが。ほんとそういうとこやぞお前)。これも上記の発展形で、自分がスクールアイドルとして見せるライブは最高のものであるべきという理由なのだろう。だから、一番いいパフォーマンスができる人材がステージに立つし、他のメンバーもステージに立ちたくて切磋琢磨する……みたいなことを考えているかもしれない。いやそうじゃねぇんだけどな!!!スクールアイドルってのはな!そうじゃねぇんだわ!!!!

また、監視委員会設立の経緯には触れられてないが、「最高の環境を提供してるし間違いなく部の方がいいに決まってるのに何故か反発されてる、なら部に来たくなるような環境を私が整えてあげよう」といったところだろう。ほんとランジュお前さぁ……そういうところだぞ……

確かに、監視委員会に関しては容認される出来事ではないし、私もやりすぎだとは思う。ただ、この一点だけは押さえて欲しい。彼女は悪意をもって同好会を排斥しようとは思っていない。ただ、「環境を整えた部で活動した方が同好会のみんなのためになる」と思い、必死になって部に来てもらえるようにしているだけなのだ。やりすぎ
だけどな。不器用にも限度があると知れ。

一般的にこういうタイプの行動は善悪どちらへ転ぶかわからないのだが、ランジュの場合は悉くいい方向へ向かわないタイプだろうと推測できる。ランジュの行動原理については5話で栞子が触れている。「根本にあるのは純粋に、自分がそうしたらみんなが喜ぶに違いないという思いだけ」と。彼女はあくまで「こうしたら喜んでくれるに違いない」という善意から行動しているのだが、自分ルールから来る行動があまりにも突拍子ない上に独りよがりになってしまっているため、結果的に「自分勝手で、強引で、人の神経を逆なでする天才」に落ち着いてしまう。彼女に悪意はないのだが、その純粋な善意が拗くれて独善になってしまう。そういうタイプの子なのだろう。

ここで監視委員会についても述べておくが、私は行動は容認できないが、ランジュの描写としては大正解だと思っている。なにせ人の神経を逆なでする天才なのだ。そんなキャラを置いといてプレイヤーの神経を逆なでしない方がおかしい。実際彼女の立ち回りによって同好会サイド(とプレイヤー)の神経は存分に刺激しているため、ランジュの描写としては至極正しいのだ。ただ、あなたちゃんの感情のベクトルはちょっと斜め上に向いているが。プレイヤー代弁型主人公にしては癖が強いんだよな……

この一点においてはライター・雨野氏の大勝利である。そもそもこの描写が必要かとかこのキャラである必要があるのか云々は一旦置いておく。ただ、この件に関して犯罪者だの人権侵害だのという主張へ広げるのは流石に言いすぎなのではないだろうかと思う。スクールアイドル活動をさせないために拘束して云々とかならまだわかるが……犯罪まで持っていくのは言葉が強すぎない……?なお政治問題に広げてしまうのは言語道断である。デリケートじゃきかない問題だからネタでも安易に結びつけるのはやめようね。


私は2ndシーズンの軸に「スクールアイドルとは何か、仲間とは何か」というテーマが据えられているのだろうと考えている。スクールアイドルは、特に虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、"過程"を重視している。何故活動するのか、その曲には何が込められているのか、その曲を歌うまでにどのような過程があったのか。だから、それぞれの曲が私たちの心へ届くし、そこが彼女たちの魅力なのだろう。

しかし、鐘嵐珠という人間は、このスタンスとは全く真逆を行っている。ここからはオタクの深読みだが、彼女は"結果"に重きを置く人間だ。20章を読むに、ランジュは「最高の結果」だけを求める節がある。だから一流のものを集めて、最高のパフォーマンスを見せるためのシステムを設ける。

おそらくだが、彼女は「最高のものを集めて最高の結果を出せばみんなが喜んでくれる」と考えているのだろう。そしてその逆「最高の結果を出さなければみんなは喜んでくれない」というのも、またそうだろう。だから、スクールアイドルフェスティバルがみんなに喜ばれたのは「最高の結果を出したから」だと考えてるし、その「最高の結果」を手っ取り早く実践しようとした結果があの魔改造なのだろう。

しかし、彼女は最大の取りこぼしをしている。"過程"を理解していないのだ。

恵まれた容姿と才能、裕福な家庭と過程を全てすっ飛ばして最高の結果を得られる環境が揃えられていた彼女に、"過程"を踏む必要などなかった。全てをすっ飛ばして目的のものを手に入れられる彼女にとって、過程とはただ無駄な労力なだけだ。

でも、その無駄な労力かもしれない"過程"にしか無いものも存在することを、少なくとも第4の壁を隔てた我々は知っている。そこがランジュの取りこぼしたもの、栞子の台詞を借りると「足りないもの」だ。結果は大事だがそれが全てではないことを、彼女はまだ知らない。それはそうだ、彼女は"過程"というものを経験したことが(おそらく)ないからだ。まだ出会っていないものを理解することはできない。

だから彼女は、同好会メンバーが同好会の活動を魅力的に感じ、同好会に固執する理由を理解できないのだ。それこそ、我々が彼女が善意で妨害してくる論理を完全には理解できないように。理解できないから「素人が曲を作っても」という言葉が出てくるし、商業アイドルじみた方法で結果を求める。しかし、それはスクールアイドルにとってはナンセンスだ。スクールアイドルのライブに価値があるのはそこに過程があるからであり、その"過程"から生まれる唯一の尊いかもしれない何かが彼女たちを輝かせる原点なのだから。しかし、そんなことは画面の向こうにいる彼女たちはまだ知らない。

上でも述べたが、このタイプと分かり合うには2つしかない。そして、もはやごまかし等の小手先が効かないのなら、ランジュに理解してもらう手段はただ一つ。

徹底的に殴り合ってわからせるまでである。

殴り合い傷つき傷つけながらも、その"過程"にあるトキメキをランジュ含めみんなで探していく、それがこの2ndシーズンの軸なのだろうと私は読んでいる。もっとも序章なのでまだわかりませんが。

 

2. 移籍組について

移籍した彼女たちに関しては、私は裏切り者などとは考えていない。むしろ、彼女たちの性格を鑑みたらそうするんじゃないだろうかとも考えている。あとカップリング云々に関してはコメントしない方針で行く。公式百合でもねぇんだしキャラ個人の解釈にCP前提の思考を持ち込むのはちょっと違うと思うんだわ……

 

1. 果林について

果林については、何にせよ遅かれ早かれ同好会を離脱するのはほぼ確定事項だったと考えている。この理由に関しては同好会残留組の現状について述べる必要があるためここでは割愛する。ただ、彼女はやるならとことん突き詰めて最高のパフォーマンスを見せたいと考えている子だし(この片鱗はキズナエピのファンクラブの下りで垣間見える)、そのためには我を突き通す子だと解釈しているということは述べておこう。

 

2. 愛について

彼女に関しての議論が一番紛糾している気がする。実際、この点に関しては見方がかなり分かれているだろう。人情が篤く、ノリが良くて面倒見も良いため友達も多い。誰とでも話せば友達だし、そういう彼女の周りには人も多い。そういうキャラとして描かれた彼女が同好会と(形式上?)敵対する関係になってしまったことになり、優しい愛さんが同好会メンバーを見捨てて敵側につくなんて!愛さんはそんな子じゃない!という主張も多くみられる。しかし、その考えは少しピントがずれていると思う。私は、「誰とでも話せば友達」という子がランジュに壁を作るとは到底思えないのだ。

 

ここからは私の持論と解釈が多分に入るため、あくまで一つの解釈として読んで頂けると幸いだ。

まず、彼女はとても優しい子だと解釈している。キズナエピなどを見ても困っている人や1人でいる人によく手を差し伸べているように場面が多いし、スクールアイドルを始めてからも運動部の助っ人はやめていないところを見るに、困っている人に積極的に手を差し伸べられる人なのだろうと思う。特にコミュニケーションが取れなくて悩んでいた璃奈へ話しかけ、璃奈ちゃんボードを提案したという設定はその最たる例ともいえるだろう。「何を考えているかわからない」と遠ざけられていた璃奈に寄り添い、結果として彼女がまた自力で踏み出すための手助けをしているのだから。スクールアイドルとしても、愛はあくまでみんなが楽しくいられるように頑張るし、ファンのみんなが楽しいと思ってくれることを第一にしている。

そんな彼女の無尽蔵な優しさは、きっとランジュに対しても同じように向けられるのだ。ましてや、ランジュが独りよがりで純粋な善意のせいで孤立しかかっているのなら、なおさら。

どんな人とも分け隔てなく接するということは、誰にも過剰な肩入れをしないということを意味する。その点、愛はいい意味で非常にフラットな見方ができる人だと思っている。利害関係や好き嫌いやそこら辺の面倒なことはいったん棚上げにしてとりあえず手を伸ばしてみる、そして対話を試みるということができる子だろう。そして、彼女が手をかける相手は、大抵困っている人かなんらかの理由で一人でいる人なのだ。

そして、ランジュは、身から出た錆ではあるものの、現状同好会メンバーに手を差し伸べようとした結果激しい対立状態に陥っている。そんな状況で、愛がランジュとどう向き合うかを考えると、こちらへ手を伸ばしてきたランジュの手を取るという行動は、彼女にとってはごく自然なものではないだろうかと、私は思うのだ。むしろ、誰にでも優しさを向ける人情に篤い宮下愛が、ランジュであっても敵だと斬って捨てるというのはかえって想像できない。

作中でも愛は「見ないうちから全否定はしたくない」と明言している。自分と仲間たちが必死になって作り上げたスクールアイドルフェスティバルを、大好きな仲間たちのパフォーマンスを見て、好きだと言ってくれるのなら、彼女とも友達になりたい、友達になって話してみたい。そして、自分たちのやり方や魅力も、わかって欲しい。そんなことを考えているのではないだろうか。

……最後はオタクの深読みだが、少なくとも独善で自分や仲間を排斥しようとしている相手に対してもスタンスを変えることなく「見ないで全否定はしたくない」「好きだと言ってくれるなら友達になりたい」と言う言動ができる子ではあるだろうと、私は考えている。

実際、我々は自分の大切なものを好きだと言いながら踏みにじっていく相手に「言動だけで全否定はしたくないから対話してみよう」と思えるだろうか。ランジュが嫌いな貴方は「こいつ嫌な奴!嫌い!」で留まらず「こいつ嫌な奴だけど実際どんな人なんだろう」と1ミリでも考えただろうか。たぶん考えない人間が大半だし、私も少し違うベクトルで見てたらそうなっていただろう。しかし、愛は違う。よくわからない人間を「よくわからない」と一蹴しない、筋金入りの優しい子なのだ。私はこの点はプラスに捉えている。よくわからない人へも手を差し伸べられるって相当凄いことだと思うんですよ。人間の鑑では……?

でも同好会のことは見て見ぬふりしてんじゃねーかという意見もあるが、ここに関しては何の描写もないため私は希望的推論しか語れない。ただ、もし愛が同好会側に残るという選択をしても、同好会の現状は変わらなかっただろう。ランジュが1人減ったくらいで折れるならそもそも同好会の乗っ取り魔改造などしないだろうし。そして現状、同好会サイドはこの問題を解決できていない。ならば、よくわからない敵陣に突っ込んでみたところで大差なくないか?とも思うのだ。裏切りに同情の余地がないならば他人依存で喚く割に何も建設的な議論をしない排他的姿勢にも同情の余地はないと思うんだが?

……もう少し建設的な話をしよう。一つ推論として語れるのは、部とのパイプ役になろうとしたかもしれない、ということだ。相手側に行くということは、相手側とのパイプ役となれる可能性もあるため、それを狙ったのかもしれないと私はほんのり思っている。行ってみたはいいものの、物わかりが良く人の機微に聡い愛なので、ランジュの"善意"に気付いていて上手く言い出せてない可能性はあるだろう。明確な悪意をもって活動しているならそれはやっちゃ駄目だよ!と言えるだろうが、なまじ独善とはいえ善意なため強く言えずにいるかもしれない。全部オタクの深読みだが。

ともかく、私は愛の行動に矛盾点は感じていない。むしろ愛があの同好会に残って敵だー!戦うぞー!ってやってる方が私は解釈違いだとほんのり思う。

 

3. しずくについて

これに関しては9, 10話でしっかり描写されてると思うのだが、ついでなので掘り下げよう。
おそらくだが、9話で閑散とした会場に向かい、泣きそうになりながらも「自分たちだって負けてない」と精いっぱいパフォーマンスをするかすみの姿を目にして、折れてしまったのだろう。おそらく、「部に行くかどうか考えて欲しい」と言われ「一晩考えさせてほしい」と言った彼女のことだ、自分のパフォーマンスとは何か、自分には何が必要なのか悩んでいたのだろう。そうして考えすぎて迷っている時に、迷わず堂々とステージに立つかすみを見てしまった。その瞬間、しずくは気付いてしまったのだろう。「今の自分では、この同好会で堂々とステージに立つことはできない」と。もともと女優希望でもあり、舞台でのパフォーマンスには絶対に妥協しない彼女が迷いを持つ状態でステージに立つことなど、誰が許しても自分自身が許さなかったのだろう

しかし、彼女は10話ラストで述べた通り、同好会のパフォーマンスの方が自分にとっては魅力的だと考えている。既に答えは出してるのだ。ただ、その理由が彼女にはわからない。わからなければ、ステージには立てない。だから、彼女は移籍した。自分が信じる尊いものを、胸を張って掲げるために。だから、この移籍は決してマイナスなものではないのだと私は思う。

10話後半の独白で最後に言う「その謎が解ければ、私だって」の先は、きっと「同好会でも、胸を張ってステージに立てるから」だろう。ここで立ち止まって悩み、不完全なステージを見せ続けるくらいなら、1回抜けてでも答えを見つけ出し、自信を取り戻して帰ってこよう、と。この彼女の決意に、私は心を打たれた。なにより、「必ず帰って来ます!」と言っているのだ。それならば私は、彼女が答えを掴んで帰ってくるまで待つだけである。

 

3. 同好会側の描写

この項目はこちらの追記で掘り下げている内容の焼き直しだが、改めてまとめておく。 

 

実は、一番まずいのは同好会と部の対立や部側の妨害などではなく、同好会側の現状ではないだろうかという話だ。ランジュの妨害なんて序の口で、これから起こるのは同好会の逆転劇ではなく、同好会の自壊と闇堕ちかもしれない……というとんでもなく後ろ向きな推測だ。推測こそするがこんなん現実になって欲しくはないので、こんな見方もあるんかーと話半分で読んで頂けると幸いだ。

 

20章ラストでは仲間を失いながらも自分の信じる理想を守るため、逆境の中理不尽な障害に立ち向かい始める……という感じになりつつあるのだが、あの様子を見るに、同好会の逆転劇はどうも上手くいく気配がしないのだ。

その推測は10話の中盤、わいわいと作戦会議をやっているところの描写から来ている。何がやばいか。あの"一致団結したっぽい雰囲気"こそが一番やばいのだ。

一般的に、明確かつ強大な敵が出てきた場合、利害が一致する者同士団結する。それはごく自然のことなのだが、部活動などの学生活動でこの団結を行うと、馴れ合いになることがままあるのだ。いわゆる団結した集団が必要以上に仲良くなり、集団に引きこもって段々と排他的になっていくあのクソみたいな状態だ。特に、わかりやすい結果が出るような活動をしているところでこの馴れ合いが発生すると、集団が必要以上に排他的になることで自浄作用がなくなってしまい、活動の質の低下・メンバーの分断などの様々な問題を引き起こし、結果良くて機能不全、最悪の場合周りを巻き込んだ集団の崩壊までたどり着く。

 

閑話休題。そんな話を念頭に置いて見ると、作戦会議を行う同好会サイドの雰囲気が、まさにこの崩壊の始まりといえる馴れ合い状態のそれだったのだ。強大な敵に立ち向かうために同好会が一致団結する、傍から見るといい話なのだが、ソロ活動へ舵を切った「思いは同じだが目指す方向・向いている向きが違う」はずの同好会としては非常に不健全な状態ではないだろうか。そもそもあのメンバーが意図して同じ方向を向けるのであれば、1stシーズン序盤のようなことにはなってないのだ。しかし、20章終了時の同好会は「思いも目指す方向も同じ」なのだ。君たちのありたいと願う形は本当にそれだったか?

私が上で「果林は遅かれ早かれ同好会を離脱していた」と述べたのは、これが理由だ。彼女は、もし同好会に残っていたとしても、この状態に陥りつつある同好会に残るとは思えないのだ。もともと自分のパフォーマンスに妥協しないストイックな彼女のことだ、なあなあで活動するなら部に移ってしまえと考えてもおかしくない。

そして、その崩壊への道筋は今も見えつつある、というか、ライターの手によって舗装されつつあるのだ。

 

まず1つ、馴れ合いの負の側面である集団の排他化が既に完成されている

ここは分かりやすいだろう。10話で移籍すると言ったしずくに対する同好会メンバーの反応がまさにそれだ。しずくが移籍する理由について誰も問わず、ただ「お前も裏切るのか」という非難のみ。この時点で集団の排他化という部分は描かれているものと考えられる。また、ここにおいてメンバーの分断もはっきりしている。しずくへ詰め寄るかすみとエマ、何も言わない歩夢と彼方、そして「残念だが意見を尊重したい」という中立派のスタンスを見せるせつ菜と璃奈。表は一致団結したように見えるが、それぞれの考え自体がまとまっている訳ではない。実はこの状態が一番やばい。内部の時限爆弾を放置することになるからだ。

そしてもう1つ。自浄作用の低下だ。実はこれも、ストーリーの流れの中で達成されている。部への移籍という形で

実際、暴走したらアクションを起こしそうな果林(上で述べた通り馴れ合いになったら抜けるなり言及するなりしそう)と愛(行きすぎたら止めに入るし入れる子)は移籍済み、次点でエマあたりが止めてくれそうだなと思ったのだが、エマは部敵対派の先鋒に立っているので望み薄、さらに次点で止めてくれそうなしずく(中立派+思考が大人な方+暴走するかすみを止められる)は移籍を決めているし、せつ菜(中立派+"大好き"には凄く真摯)は空気に飲まれやすい子なのでどうにかなる前に暴走を止めることは期待できない気が
する。もし彼女が動くとしたら、既にどうにかなってしまった後だろう。

つまり、現状では同好会に自浄作用というものは見受けられず、暴走のピンはすべて抜かれていると見ることも出来る。これが偶然なのか意図的なのかはライターのみぞ知る
だが、何はともあれお膳立ては全て整っているのだ。

 

そして、機能不全の予兆っぽいものも、垣間見える。

実は10話の中盤、わいわいと作戦会議をやっている段階で、同好会側が部に対抗する目的がラストで「自分が望む形のスクールアイドルをやるため」から「今いる同好会メンバーみんなでランジュ率いる部に対抗する」へさりげなくシフトしつつあるのだ。それもそのはずで、「自分が望んだ形のスクールアイドルとしてライブをやる」という前者の目的は、そもそもゲリラライブの時点で叶っている。ただ、そのゲリラライブにおいて部に客を取られるっていうシフトイベントが発生したがために、部に対抗する必要が出てきてしまった。だから目的がシフトしている――それはそうなのだが、それが地獄への入口に見えるのは私だけだろうか。

このパート、よく読むと「次はどうやってゲリラライブを成功させようか」って話をしてるだけで「次はどんな内容のライブをやろうか」っていう話には至っていない。まぁあれだけ妨害されちゃ仕方ない部分もあるのだが、冒頭で大反省会と銘打った割にはライブ自体の欠陥の話はしていない(=客がいないという点以外の現状に問題はないと思っているor他の問題に目が行っていない)のだ。そして、「部に客を取られないようにどうするか」という話になっている。

……これ、機能不全の予兆に見えて仕方ないんだが。

彼女たちは最初、「自分が望む形のスクールアイドルをやる」ために部と対抗したはずだ。しかし、彼女たちの言いぶりから見るに、今の同好会サイドの目的は「今同好会にいるメンバーと一緒にスクールアイドルをする」へシフトしている気がしてならない。そうして「今同好会にいるメンバー」の中で団結し、部へ行ってしまったメンバーを裏切り者と排斥していく先に明るい未来があるとは、私は到底思えないのだ。

 

1の最後で述べたように、2ndシーズンは「スクールアイドルとは何か、仲間とは何か」というテーマで語られるのだろうが、私は同好会メンバーのこの描写からも改めて、仲間とは何かという問いを投げかけているのだと思う。切磋琢磨する仲間とは、立場を違えても言い争っても、なお手を取り合って歩む人を言うはずだ。馴れ合いの集団は、決して仲間などではない。

……とは言うものの、もちろん私だってニジガクの皆には仲良しでいて欲しい。しかし、仲がいいというのは、意見が違うなら打ち明けあえる人のことを言うのではないだろうか。互いの意見をぶつけることなく封殺しあい、同じ意見の人とだけ固まっている姿を"仲がいい"とは、私はどうしても思えないのだ。

私はどちらかというと、部のやり口よりも同好会メンバーのこの空気の方が嫌いだ。馴れ合いはろくなことにならない。しかし、これもまたよくあることだし、ごく自然な行動であり描写だと考えている。本当に人の描写が上手い人だよ……

 

4. まとめ

上の深読み考察をざっとまとめると、スクスタ2ndSeasonはニジガクメンバーに照準を絞り、ランジュ率いる部との駆け引きから「スクールアイドル」とは何かを問い、同好会に残ったメンバー、そして部に移籍したメンバーの様子を描きながら「仲間」とは何かを鋭角抉りながら問うていく物語なのだというのが垣間見える。7割オタクの深読みなんですが……

まだ序章なので全体の評価は下しようがないが、私はこれはこれでありだと思っている。特に、「仲間」とは何かという問いに対して彼女たちがどう向き合うのかという点は非常に目が離せないところだろう。ソロだけど皆仲良し!というところが目立つニジガクメンバーだからこそ、この"仲良し"というラインに切り込むストーリーが一個くらいあってもいいんじゃね?というところだ。ラブライブが部活動にフォーカスを当てた作品であること、その中でもほんわか日常シーンだけではなく葛藤や対立・悩みにスポットを当てる作品であること、そして、スクスタというどこからも乖離した世界線だからできる荒業でもあろう。確かに(いろんな意味で)心が痛いが、冒頭でも述べた通り読んでて面白かったしこれはこれで続きが気になるため、私はおおむね満足である。気になるから次まとめて3章くらい実装しない?

 
5. スクスタ20章のここがダメ!

さて、ここまで深掘りしてきたのだが、純粋に良くない点も多いのでそこは指摘しておこうと思う。

1.圧倒的尺不足・描写不足

これに尽きる。

まぁやりたかったことはわからなくもない。帰ってきたらいきなり大ピンチ~!?みたいな展開がやりたかったのだろうが、初動にしては圧倒的に描写が不足している。特に果林と愛。上で考察を長々と展開しているものの、タイトルに書いた通り「隙しかない」のでこんなトンデモ話が展開できるのであり、実際彼女たちがどういう思いを持って部に行って今部で何をしているのかがわからない。このため、肝心な部分が読者側の裁量次第となってしまいこの惨事である。

特に、5話でランジュにフォローを入れるなら果林と愛のフォローも欲しかった。そのためには話数も足りないし、欲しかった描写も無いというのが残念なところだ。これがスクフェスのごとく半月おきに公開されるならまだしも、ひと月おきに公開されるとなれば余計にそうだ。なんでいつもいつも尺不足の描写不足なんだよ、どいつもこいつも詰め込みすぎなんだよ
……スクスタ運営さん、今からでも遅くないからこの先1章15話構成とかにしない?インタールードって単語覚えたならじゃんじゃん使っていこうや。もっと石くれてええんやで


……と思って読み返してみたのだが、実は20章においては、このフォローに至りそうな描写が徹底的にカットされているのだ。

3話であなたちゃんが果林と愛へ単刀直入に「部での活動、楽しい?」と聞いている。しかし、その直後かすみに「そんなのただのおしゃべりじゃないですか!」と遮られている。この問い、彼女たちの思いを引き出すフックになりそうな問いなのだが、遮られてしまったせいでこの答えは結局得られないままになっているし、結局2人が部へ抱いている思いも口にはされていない。実はこのかすみんのムーブ大戦犯では?でもかすみんなら仕方ないか……

そして、4話でも2人が同行を申し出ているのだが、これもあなたちゃんがきっぱり断っている。ここで連れて行けばランジュに3人で話をするという図になりランジュと2人の立場も描けるのだが、このチャンスも摘まれている。

あれ、もしかしてこれ、半ば意図的に情報をシャットアウトしてないか……?実は我々、最初から運営の手のひらでころころ転がっているだけでは……?いやまさかな……


2. キャラへのヘイト管理

上に繋がるが、描写不足が相まって既存メンバーへもヘイトが向かってしまっている。これもキャラゲーを売りにしているのであれば全力でやるべきことだと思うのだが、結果的にこうなってしまった以上、特に気を付けて頂きたいと思う。

しかし、だからと言ってキャラ・キャスト(特にキャストさん)へのヘイト活動は許されることではないし、絶対にやってはいけない。我々も相手をしてはいけないし、目に入るなら自衛を行うべきである。向こうもやってることが一部例の過激派原理共と同じなんだよな……。

ただ一点。ランジュのヘイト管理に関しては「不正解だが大正解」だと思っています。あそこまでヘイトを集める必要も無いとは思うが、そこまで突き抜けてなきゃ「人の神経を逆なでする天才」にはなれんでしょ。

監視委員会についても上で述べた通り、行動は容認できないがランジュの描写としては大正解だと考えている。むしろあそこまで堂々と突き抜けられる青さが一周回って愛おしいんですがそれは私だけだろうか。無論リアルじゃ絶対関わり合いにはなりたくないが。でも安くて美味しいラーメン屋とか駄菓子屋とか連れまわして振り回されたい……

 

補足:そもそもこのシナリオである必要はあったのか

これも思わなくはないが、これを言っちゃおしまいだろとも思うのでここに関しては悪いと断言できない。実際こういうシナリオ好きだし読んでいて面白いと思ったし、早く続きが読みたいというか読ませろ。本当に毎回毎回人の描写がリアルすぎて吐きそう(褒めてる)。本当に人間を書くのが上手い人だよ。人間って言うのは……結局こういうもの
なんだよなって……

それに、ずっと仲良しこよしのシナリオが永遠に読みたい訳でもない。そも掘り下げという点ではキズナエピがあるし、仲良しエピソードならイベントやサイドストで補給できるし。

ただ、ここに関しては各自のスタンスがあるため、これ以上の言及はしない。しかし、もし読んでいないのであれば、自分の目で読むことを推奨する。「読んでないけど/話聞いただけだけど/批判動画見たけどこれは良くないと思う云々」とか抜かしていい子ぶってんじゃねーぞいい加減にしろ。せめて自分で読んでからお気持ち表明しろ。自らの思想というアイデンティティに関わる部分を人に握らせるな。自分の思想は自分で作れ。

ちなみに、私はこれくらい派手にぶち上げてくれた方が嬉しいです。無限の仲良しこよしはスクフェスメインストで十分なんですよ。だから早く虹ヶ咲もスクフェスに引っ張ってこいや

しかし、シナリオ運びがワンパターンなのは同意する。もっとやり方あるやろ。別に穏便に加入してから派手に内紛させてもええんじゃよ。あとそろそろ他の転入生も出してくれたり……しない……?虹アニメにも出てて注目度が上がってるし出すなら今だと思うんですよ(早口)

 

 

というところで、スクスタ20章についての考察もとい現状に対するカウンターお気持ち文は以上となる。別にこの考察が全てという訳ではない。こんなのもあるんだーへーくらいの気持ちでいて頂けると幸いだ。

 

この先に何が待っていようと、最後には虹がかかることを私は信じている。
彼女たちはきっと、最後には手を取り合える子たちなのだから。

ラブライブ!スーパースター!!がもたらしたスクールアイドルの再定義

3日前だか4日前だかにラブライブ!スーパースター!!の公式サイトオープンが報じられましたが皆様お元気でしょうか。私は着々と日付の感覚を失っています。

今回は先日公になったラブライブ!スーパースター!!について。

我がオタクとしての定住地になりつつあるラブライブ!さんがまたなんかやるとのことであり今まで静観してきたのだが、情報やら周りの反応的なものやらを見ている度に私のお気持ちが高まっていたのでいろいろ確定したのを機に今回一気に放出してみようと思う。ついでに私のラブライブ!観みたいなものも引っ張られて出てきたので置いておきます。一回は形のある文章にしておきたかったからね。

 

新しいキャッチフレーズがやばい

このスーパースター!!、何がやべーってキャッチフレーズが「私を叶える物語」と設定されているのがやばい。この時点で既にかなりやばい。スーパースター!!がμ'sとAqoursの延長線上にあるとはっきりしたのでなおさらやばい。無論いい意味で、である。

今までは、ラブライブ!は「みんなで叶える物語」をキャッチフレーズとしていた。これはもはやラブライブ!の根幹を定義する言葉と言っても過言ではないだろう。この定義付けがされたのが、無印アニメ1期あたりだろうか。その「みんなで叶える物語」を最初に体現したのがμ'sであり、このフレーズを旗印としてラブライブ!は世に広まっていった。それはこれを読む方なら周知の事実だろうし、この定義付けが上手く嵌ってここまで発展したと言っても過言ではないだろう。

そして、後続のAqoursも、「みんなで叶える物語」の定義付けに従って進んでいった。その指し示す方向に若干の違いはあれど、「みんなで叶える物語」という根幹からはぶれていなかったはずだ。むしろそれが顕著過ぎたイメージもある。

このように、今までのラブライブ!にとって「みんなで叶える物語」という定義は、根幹を成す言葉であったはずだ。


その根幹となる定義を、今回のスーパースター!!は勢いよくひっくり返した。

スクールアイドルは、「私を叶える物語」である、と。

 

この突然の変更に、インターネットには様々なお気持ち文が流れた。まぁ仕方ない面もある。だって真逆に見えるし。なんでいきなり「私」になってんだよ、いきなり自己中心になってんじゃねーよ、「みんな」はどこ行ったんだよ。そんな感想が出てきても仕方ないとは思う。

しかし、私はこの「私を叶える物語」という定義は、決して「みんなで叶える物語」を否定するものではないと思う。むしろ、「みんなで叶える物語」を最大限受け止めているからこそ、「私を叶える物語」へ進んだのではないか。私はそう考えている。

何故か。

スクールアイドルは、「みんなで叶える物語」である以前に、部活動であるからだ。

 

スクールアイドル部という部活動

そう、ラブライブ!はスクールアイドルというある種の部活動をモチーフにしたストーリーだからだ。

……何を当たり前のことを言っているんだとお思いかもしれない。私もそう思う。だが、この前提を抜きにしてスーパースター!!がもたらしたスクールアイドルの再定義は語れない。

私はラブライブ!ラブライブ!である根底に、「部活動ものである」ということがあるのではないかと考えている。もちろん衣装に袖を通し舞台で歌って踊ってアイドルやってる推しは最高に可愛い。しかしぶっちゃけそれは他のアイドルものでも同様だ。

ラブライブが他のアイドル物と決定的に違う点は、アイドル活動が純粋な部活動として存在している、という点だと思う。部活動なので大人の都合とか収益化とか人気がないから続けられないとかそんな問題は放っておける。人気がなくても、知名度がなくても、やりたいと思えばスクールアイドルは出来る。無論、収益になっているかとかそんなもん関係ない。だって部活だし。そこにやりたいという意思と熱意があればスクールアイドルは成立するし、自分たちのなりたいアイドル像を突き詰められる。そこが魅力の源泉であると私は思う。

 

そしてもう一つ。スクールアイドル関係なしに、普遍的な認識として述べておくべきことがある。立ち上げたばかりの団体というものは、得てして脆い存在であるということだ。

これは割と普遍的な話なのだが、立ち上げた団体を盤石にして活動を安定させるというのは非常に大変である。部活動ではないが、1つのそこそこ重めなサークルの安定化に関わった身としてこの部分は痛いほどわかる。

これに加えて、部活動を含めた学生団体には時間制限が存在する。高校生なら卒業するまでの3年間がこのタイムリミットになる。こればっかりはどうしようもないので仕方ないが、卒業していくという性質上、同じメンバー構成で何年も活動し続けるということはなく、1人の人が何年もメンバーとして携わり続けることもない。

故に、学生団体は流動を続ける。そして、この性質が脆さに拍車をかけている。

1人が携わり続けることができないということは、立ち上げに携わった熱意ある人間が抜けた瞬間、団体ごと瓦解しかねない可能性を秘めているからだ。この性質故に団体の安定化はとんでもない労力を必要とする。とりあえず自分たちが出て行くまでには、メンバーに無理を強いること無く団体を回せる状態にしないといけないからだ。しかも自分たちの活動と並行させながら、だ。

スクスタのメインストーリーを読破されている方ならピンとくるかもしれない。おそらくスクールアイドルフェスティバルの元実行委員会がそのタイプだ。一人の執念とも言える熱意によって支えられていた実行委員会は、その屋台骨が抜けてしまった瞬間、運営していたスクールアイドルフェスティバルごと消えてしまった。傍目から見ると悲しい話だが、実際よくあることではあるのだ。その点スクスタのストーリーは非常にリアルな所を突いている。おかげで読んでると諸箇所でいろんな古傷が疼くのだがそれはそれとして。

 

前で述べた、スクールアイドルは熱意さえあればなれるしなんでもありだということと、立ち上げたばかりの学生団体はその流動性故に脆い存在であるということ。この2つを合わせて考えると、ある一つの仮説が立てられる。

ラブライブ!という存在は、実は本質的に非常に脆い存在であったかもしれない、ということだ。

無論今はそんなことないのだが、部活動+アイドルものというラブライブ!は、本質的な脆さを抱えている。上で述べた脆さに加えて、人気が物を言うアイドルの性質も加わって、屋台骨となるアイドルが卒業して(=抜けて)しまった瞬間、コンテンツごと崩壊する可能性も秘めていたのだ。もしかしたらそれこそμ'sが活動に一区切りつけた瞬間ラブライブ!のコンテンツごと吹き飛んでいた未来だってあるかもしれないのだ。

 

「みんなで叶える物語」の再定義

この仮説を踏まえて、改めてラブライブ!の歩みを振り返ってみよう。

最初にラブライブ!の物語を紡いだのはμ'sだ。彼女たちは、スクールアイドルとラブライブという新たな道を示し、切り開いた。要は立ち上げ役だ。
実際、劇中でも現実世界でも、μ'sが主役となっていた時間軸においては、μ'sどころかスクールアイドルそのものが、吹けば飛びそうな小さな灯であった。
その小さな灯を守るため、μ'sと初期のラブライブは、「みんな」を頼った。この物語を見る一人一人もまた主役なのだと煽り、スクールアイドルという存在を様々な人間に組み込ませようとした。結果的にこれは大成功を収め、μ'sはその後飛ぶ鳥を落とす勢いで発展していった。周りを巻き込むことができるスクールアイドルだからこそ出来た技であろう。

そして、これは後続のAqoursも同様だ。彼女たちは「みんなで叶える物語」の形は一つではない。望みさえすれば、掴もうと足掻けば、何個だって物語は叶う。そう示したのが彼女たちだ。そして、彼女たちもまた、「みんな」を頼った。それは(劇中・現実問わず)沼津・内浦に住む「みんな」であり、Aqoursを追いかける「みんな」であり、μ'sの後ろを追いかけるかつての「みんな」もそこに含まれていたかもしれない。そして、彼女たちもまた、広く知られる大きな存在となった。支える屋台骨は1つではない、ラブライブ!を構成する要素は一つではないことをも同時に証明したのだ。

ここまで紐解いてみると、1つの大きな流れが見えてくる。

ラブライブ!という作品は、その全体がひとつの部活動とも取れる動きをしているのだ

立ち上げ当初の脆さと強固にするための基盤作り、代の引継ぎと流動するメインメンバー。そして、その中で放たれるきらめき。まさに、部活動における動きの捉えられるのではないだろうか。

そして、そう捉えると、1つ致命的な点がある。

これらの作中で、彼女たちは自分の望む道を歩んでいたのは事実だろう。だが、そこにはいつも「みんな」への呼びかけがあった。この「みんな」を無くして、ラブライブ!の構成要素を語り尽くすのは難しいだろう。それだけ重要な存在であるとも言える。

敢えて裏を返そう。この「みんな」がいなければ、彼女たちの物語は叶うことも語られることもなくただ忘れ去られていく可能性だってあったのだ。それがあったのは、良くも悪くも「みんな」がいたからだ。

「みんなで叶える物語」は、文字通り「みんな」で叶える物語であり、みんなで叶えなければ叶わない物語だったのだ。

これは、部活動と見たら致命的な点であるとも言える。無論見ている我々にとってはこんなの願ってもない状況なのだが、これは部活動をモチーフとした物語だ。先に述べたように、部活動であるならば何もみんなのためでなくてもいい。自分のために活動したっていいはずだ。

しかし、今までの土台ではスクールアイドルは脆弱だった。

強豪校には高校球児が野球に全力で取り組める環境が存在しているように、自分のやりたいことを貫くにはそれに見合った土壌がなければならない。自分のため、自分のやりたいことを掲げているだけでは、進めるかどうかさえ怪しかった。だから「みんな」に頼り、一般化を行い、万人へ訴えかけるある種の大義を掲げて進めてきた。そうしてラブライブ!は大成功を収め、脆い地盤を固めてきた。「みんなで叶える物語」は、スクールアイドルが活動するための強固な地盤を築くことに貢献していたのだ。

しかし、今はもうスクールアイドルは脆い存在ではない。

実際、劇中世界でもスクールアイドルはすっかり普遍的な部活動として浸透しているらしいし、現実世界でもラブライブ!と言えば何か動きがある度にTwitter日本トレンド上位をかっさらっていくクソデカコンテンツとして広く浸透した。スクールアイドルという灯を守る人たちは今やとんでもない数になり、スクールアイドル自体もまた、風が吹いたごときで消える炎ではなくなった。それは、「みんなで叶えた物語」という言葉が力強く物語っているだろう。

「みんな」に頼らずとも、もうラブライブ!は、スクールアイドルというコミュニティは、自分の足で歩いて行けるようになった。それは間違いなく、「みんなで叶えた物語」であろう。

「みんなで叶える物語」は、もう既にその実を結んでいるのだ。

だからこそ、スーパースター!!は次のステップへと進むために、スクールアイドルの再定義を行った。

 

スクールアイドルは「私を叶える物語」である、と。

 

みんなで叶えた物語の先で、「私」を突き詰めるステージへ行く準備が整ったと、そう運営は判断したのだろう。

上で述べたが、脆い土台の上で自分のやりたいことだけを突き詰めるのは危険である。しかし、逆に言えば環境さえ整えば自分のやりたいことを貫いたっていいのだ。その環境を整えたのは、たぶん「みんなで叶える物語」なのだろう。

「私を叶える物語」は、「みんなで叶える物語」の延長線上にあるものであり、「みんなで叶えた物語」そのものなのだ。

だから、私はこのキャッチフレーズに抵抗感は抱かなかった。

むしろラブライブがこのキャッチフレーズを掲げたという事実に感極まっていた感もある。

「みんなで叶える物語」が叶ったからこそ、今ここに、「私を叶える物語」が存在できる。そう直感的に思ったからかもしれない。

 

変わりゆく中で変わらないもの

しかし、だからと言ってこれまでの流れが全く変わるわけでもない。

新たな舞台は新設校、公式サイトでもないない尽くしの新設校とある通り、本当になにも無いのだろう。ある意味ゼロからのスタートである。そういう点では今までの流れを違う形で踏襲してるとも言えるだろう。

あともうひとつ。

スーパースター!!は全員が1年生でスタートする(らしい)のだ。

全員が1年生からスタートするということは、1年経っても今まで発生していた"卒業"というイベントが発生しないということでもあり、もしかしたら数年にわたって描かれる可能性だって十分にあるということだ。ラブライブ!スーパースター!!セカンドシーズンもあるのは嬉しいかもしれない。なにより、3年間かけた彼女たちの成長をじっくり拝める可能性があるのだ。これは期待を寄せざるを得ない。

これに加えて、部活動では確実に欠かせない新歓イベントが存在する可能性もある。これは熱い。今まで1年で完結していたラブライブ!のアニメシリーズにおいて、これは大きな変化だし、何より後輩の新規加入という新しい可能性も存在する。そりゃあ今のメンバーは5人だがn年後に増えないとは誰も言ってないし、何よりクソガバ設定に定評のあるアニメシリーズならやりかねない。

 
…………という訳で、スーパースター!!は非常に楽しみです。推しはまだない。自分自身声(というか演技?)で落ちる部分が2,3割あるので声が出てくるまで静観しようと思っている。ちなみに現時点で気になるのはかのんと恋です。5億年ぶりに主人公に落ちるムーブかますかもしれない。


「みんなで叶える物語」は、次のステージへと向かうのだろう。

しかし、みんなで叶える物語が形を変えたからと言って、その意味が綺麗さっぱりなくなるわけではない。むしろこれからだ。「みんなで叶えた物語」は、ここで終わってはいけない。これからも語り続けなければならない。

物語は、どんなに尊く美しいものであっても、語られていなければ意味がない。忘れ去られてしまっては、彼女たちの物語が無に帰ってしまう。だから、形を変えてでも、これからもスクールアイドルの物語は語られ続けるのだろう。

私はそれを、傍から静かに見守ろうと思う。

暇ならCytus2をインストールしてくれ

お久しぶりです。流転です。皆さん、今の引きこもり最盛期をどうお過ごしでしょうか。私は毎日引きこもりを極めています。

今日は、そんなことはどうでもいいので暇ならとりあえずCytus2をインストールしろという話をします。怪文書を何とか布教文章にしていたら本体無料セールが終わっていましたが本体価格は微々たるものなのでインストールしてください。

 

Cytus2 とは

2018年にリリースされたRayArk社謹製の買い切り型音楽ゲームだ。本体価格240円。

6チャプター90曲もの無料曲が遊びたい放題であり、課金してDLCを開放すれば最大285曲もの楽曲で遊べる。しかもハイクオリティで濃密なストーリーがついてきてたったの240円。安い。安すぎる。RayArk社の処女作であるCytusの続編という立ち位置のゲームであるが、ぶっちゃけCytusやってなくても全く問題ないので是非心置きなくCytus2をインストールして欲しい。気が向いたらCytusの方もよろしく。

ちなみに同社が手掛けたゲームではDeemoが有名であろう。各所でコラボしている上に、Deemo映画化のニュースが出た時はかなり話題になったため、やったことはなくてもタイトルは知っている方も多いかもしれない。あれと同じ会社が作ってます。実際Cytus2も知る人ぞ知る良ゲー、という立ち位置なのだが、こんな立ち位置において
おくにはあまりにももったいなさ過ぎる。

何故か。

 

ストーリーがめちゃくちゃ素晴らしいのだ。

 

いや本当に素晴らしいんですよストーリーが。

ただ、買い切り型のガチな音ゲーというプラットフォームのせいで敷居が高く見える。いや音ゲーも素晴らしいんですが。良曲ばっかりで楽しいんですが。ストーリーの方もかなり力の入った素晴らしいものに仕上がっているのだ。"知る人ぞ知る"等と言った狭いコミュニティに留めておくにはあまりにも惜しすぎる。全世界における損失だ。

と、いう訳で、Cytus2について、私からはストーリー面を中心として紹介したい。音ゲー面については近くの音ゲー有識者に聞いてみよう!

音ゲーには縁がないと思っているそこの貴方。ここまで来たなら何かの縁なので是非Cytus2をインストールしてみて欲しい。また、有識者の皆様においては、間違い等あれば遠慮なくご指摘頂きたい。

 

ストーリーがめちゃくちゃええんや

前作となるCytusと差別化された最大の点が「明確なストーリーが存在する」という点だ。Cytusの方では、ストーリー的なものはあったものの、明確に「これがストーリー!」という物はなく、雰囲気と気力で感じ取るふわっとした何かでしかなかった。しかし、Cytus2ではストーリーもキャラも、その世界に生きる人々もくっきりと存在している。ここが大きな魅力とも言えると思っている。

 

Cytus2の舞台は、cyTusと呼ばれる巨大サーバーを中心としたバーチャルネットワークが確立し、民衆に広く普及した社会だ。バーチャルネットワーク内ではiMとかいうcyTus版Tw○tterを初めとした様々なサービスが提供されており、バーチャルネットワーク内で人々が交流できたりライブが開催できたりと、インターネット上に"第二の社会"が形成されている。

一方リアルな世界はというと、これも我々がいる世界とは全く異なっている。人々の住むエリアはナンバリングされ、それぞれの区域が独自の文化と共に整備されている。全ての人々はこのnodeと呼ばれる狭い空間の中で生活しており、node間を移動することはあれどnodeの外へ出ることはない。

逆に言えば、人々はnodeの外で生きていけない。

nodeの外は封鎖エリアと呼ばれており、一般人の立ち入りは禁じられている。また、封鎖エリア内部に蔓延する"ウイルス"の影響により、人類は特殊な装備がなければ長時間生きることすらできない。しかし、広大な封鎖エリアの内部には、オーバーテクノロジーによって作られた人工物の遺産が存在しており、遺産のオーバーテクノロジーには様々な人間が関心を寄せている。そして、その遺産には、歴史に封じられた"秘密"が眠る――


……と、退廃的な雰囲気がそこかしこに漂うサイバーパンクな世界観が展開されている。めっちゃ性癖な人いるでしょこれ。私もこれはがっつり性癖でした。

実際、キャラもちょっと訳ありな人(?)も多い。中にはがっつりそっちの人もいたりする。具体的な言及をしては面白くないので、興味を持った方は今すぐCytus2をインストールして飛び込んでみて欲しい。やべー性癖の塊がアクセル全開で全力疾走している最強の世界がそこにはある。

 

そして、前述した通り、キャラも一癖二癖ある人物(じゃないのもいる)が多い。やっぱりちょっと裏がある人って魅力的だよね――!!わっかる――!!ふっふ――!!共感した貴方はたぶん誰かしら刺さる。詳しくはCytus2をインストールして確かめよう!

……いや、実際キャラについても語りたいのだが、キャラについて語りだすと迂闊にネタバレをまき散らしかねないのでここは控えておく。ただ、歌が上手くてめちゃくちゃ可愛い上に記憶喪失な美少女アイドル炎上付近を高速飛行する美少女配信者濃い目の影を纏う苦労人体質の覆面イケメン意味深言動と謎の多いちょっとアウトローなイケおじネタと社会の闇を纏ってタップダンスするお兄さん(笑)合成音声で喋る超天才幼女がいるので、興味が湧いた方は是非インストールしてみて欲しい。背景から言動まで全部美味しい。

 

さらに、収録されている楽曲も、非常に良質なものが多い。伊達に音楽ゲームと銘打っている訳ではない。ネットに音源落ちてないかなとは思ったがあまりにも趣味に偏りすぎたのでOP曲だけそっと置いておきます。


Cytus II Opening - The Whole Rest (Full Ver.)

さらにキャラ達のストーリーとシンクロする曲があっちこっちに収録されていたりするし、無論それ以外にもいい曲ばかりである。これが240円で楽しめるのだから触ってみる他ないだろう。

 

そして、すげー舞台とすげーキャラとすげー楽曲を引き連れて展開するストーリーがこれまためっちゃくちゃに凄い。

 

Cytus2のストーリーは、各チャプターを司るキャラ達を主要人物とした群像劇形式で描かれる。圧倒的人気を誇るも忽然と消えてしまった謎のアーティストÆsirと彼が開催したフェスをきっかけに、互いに繋がりのない人間たちが交わり、解れ、徐々に結ばれていく。そして、やがて世界を丸ごと飲み込んでいくほどの大きなスケールで描かれる物語が、それぞれのチャプターで、それぞれの視点から紡がれていく。無論群像劇そのものとしても物凄く練られたストーリーなのだが、何よりストーリーの見せ方が上手い。もうはちゃめちゃに上手い。

 

ストーリーは基本的に、「バーチャルネットワーク上に散在する情報を拾い上げていく」形で展開されている。それはインターネット上の投稿だったり、どこかのカメラが捉えた断片的な映像の描写だったり、ネットワークの片隅に置き去りにされたテキストデータだったりする。その間に繋がりが――まぁあると言えばあるが、それはあくまで見た我々が抱く主観でしかない。Cytus2の中にはあくまで断片的なデータ群として彼らの痕跡が存在しており、明確な繋がりのある文章と言う形では展開されていない。しかしその分、いや、それ故に生々しいまでのリアリティ溢れるテキスト群が展開されている。無論展開された情報をがっつり読むも読み流すも自由である。あくまでデータ群でしかないからだ。ネット上に転がっている情報を取捨選択するのと同様に、ストーリーへの向き合い方も我々の手に委ねられている。

つまり、我々のストーリーへの向き合い方は、現実に対しての情報と全く同じものを求められるのだ。我々はフィクションに対して、リアルと同じ接し方をすることになるのだ。ここにこそ、Cytus2ストーリーの最大の魅力が存在していると、私は思う。

Cytus2のストーリーには「画面越しであるが故のリアリティ」があるのだ。

今の技術では、大半のゲームは画面越しに操作しながらプレイすることしかできない。その制約を打ち破ってさらなる没入感を得るために、今のVR/AR技術が発展してきたのかもしれない。しかし、このゲームでは、その制約を逆手に取り、「端末のディスプレイ越しにストーリーを読む」という当たり前のことを最大限に活用する演出や仕様で溢れている。Cytus2のストーリーが化け物たる所以が、ここにあると私は思っている。画面越しではあるが、それ故に、VRなどとは異なるベクトルの、しかし確固たるリアリティがある。テキストが、音楽が、特殊演出が、我々を否応なしにあのリアルな世界へ引き込んでいく。

その没入感を、皆さんには是非味わってほしい。

 

でも、音ゲーだし難しいんでしょう?

わかる(真顔)
いや、実際最高難易度は難しい。私これ生きてる間にフルコンできるんか?って譜面も多い。

しかし、Easyはガチで簡単だ。

しかも、ストーリーを開ける分にはEasy埋めでも全く問題ない

ストーリーを読むにはチャプター内の楽曲をクリアしてレベリングをしていくのだが、この楽曲クリアで得られる経験値量はスコア依存(かつ全難易度のスコア上限値は同じ)であり、譜面の難易度には依存しない。つまり、ストーリーを読むなら、簡単な譜面でなるべく高得点を取るのが一番早いのだ。良曲を聞きながら軽い気持ちでポチポチしていればストーリーが読める!すごい!

しかもこの前のアプデでレベリング緩和機能も来たため、レベリングもかなり楽になっている。中身はがっつり音ゲーなのだが、ストーリーやキャラ目当てでも気楽にプレイできる環境は整っていると言える。気楽にポチポチして、もし気が向いたら徐々に高難易度譜面へ手を伸ばしてもらえれば嬉しい。音ゲーはたのしいぞ。

しかも買い切り型なので時間制限のイベントやらガチャやらスタミナやらそんな面倒なものは一切存在しない。気が向いた時に気が向いただけやれる安心仕様。

厳密に言うとガチャは存在するけど1220円払って音ゲーをやっていれば無限に回せるタイプのおまけ要素なので全く気にしなくていいです。気が向いたら払ってみてください。美少女の着物差分やイケメンのヴァンパイア差分や新しい楽曲がもらえます。

 

なんか課金キャラがたくさん存在しているんですが?

開けてみてください(以下ダイレクトマーケティング)

いや読まなくても全然問題ないのだが、個人的には是非開けて欲しい。無論課金キャラにもストーリーがついてくる。このどっちかというと本筋にはあまり関係ないサイドストーリーやら過去話が多いのだが、この辺を読んでおくと後半のストーリーの理解度が断然違う。特に、Xenon・ConneR・Cherry・JOEあたりはストーリーにはまったら是非開けて欲しい。ちなみに価格はキャラ1人あたり1220円、4つまとめて4880円。9キャラ全員開けようとすると10980円。

……正直、いきなり払うにはちょっと高めである。

5000円払って4キャラしか開かないかー……と思う読者の方も少なくないだろう。

 

ところが、時々48時間限定でキャラパックセールが開催されることがある。このキャラパック、まとめて買えば買うほどお得というやつで、9キャラ全てをこのパックで解放するとなんと61%オフになる。61%オフ。39%の価格で買えます。なんとお値段4280円。4000円ちょっとで全員解放できます。最高。前で話した4キャラ開ける値段で全キャラ開放できてお釣りも帰ってくるというとんでもパックなのだ。これ逃す選択肢はないだろう。しかもこのパックセール、割としょっちゅう開催してくれる(ver2.7~3.0あたりの話。申し訳ないが今後は知らん)。ストーリーにハマったら是非4000円ちょっとを握ってキャラパックに投げ込んでみて欲しい。全部最高なので。

 

 

 

最後に。

Cytus2はいいぞ。

暇なら全員インストールしてやってくれ。頼む。

そして私のいる地獄の底まで落ちて来てくれ(満面の笑み) 

開設しました

流転です。はじめましての方ははじめまして。

 

この度ブログを設営した。とうとう始めてしまった。作ったら負けだと思っていたが作ってしまった。

 

理由は一つ。純粋にアウトプットの場が欲しくなったからである。

 

きっかけ

そもそも、はてブロを開くという発想自体はだいぶ前からあった。具体的に言うと2019年9月末あたりから。

きっかけは知り合いのシャニマス同僚Pにラブライブ!サンシャイン!!×SCRAPコラボの「学校祭ライブ中止の危機からの脱出」について熱く語っていたところまで遡る。その時の語り口にガチ気味で引いてた同僚P(申し訳ないとは思ってる)から冗談半分で「お前はてブロ開けばいいんじゃないかな」的なことを言われたのが全ての元凶となった。その時は自分も笑いながら受け流してたし、確か「三峰のp-SSR4周目が出たら考えるわ」とか答えた記憶がある。実際、三峰結華の新p-SSRか「学校祭ライブ中止の危機からの脱出」リバイバル公演が出たらやってみるかというふんわりした気持ちでいたし、遥か昔にネットの海へ流してしまった負の遺産たちのことを思うとそんなにモチベも湧かなかった。

これが1週間前までの話だ。

そんな人間がなぜいきなりブログ開設まで至った、その理由は。

 

 

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会First Live "With You"の感想を書くのをすっかり忘れてしまったからだ。

 

 

完全にやらかした 

既にTwitterで散々騒いできた通り、虹ヶ咲の1stライブは無事現地チケ全落マンと化したため、LVでDay2に参戦してきた。しかもDay1前日は高熱で寝込み(※ただの酷い風邪)、当日もまさかのブレード購入失敗から始まるという完全に天に見放された環境での参戦と相成った。しかし、結論から言うと、疲れやら体調不良やらの諸々さえ自ら去っていくような素晴らしいものを見させて頂いた。散々な道中が吹き飛ぶくらいに楽しくて、幸せなひとときを過ごしてきた。幕間を見ながら、終わったら絶対感想長文ツイート連投するぞとか思っていた。本当に思っていたのだ。

 

それが。

 

アニメのキービジュとスクフェス津島善子UR追加ですっかり吹き飛んでしまった。

 

まじでアニメのキービジュで全部吹っ飛んだ。古から転入生を見守っていた身としてはあまりにも絵に既視感があり過ぎた。しかも帰ってきたらスクフェスで推しUR実装かつ推しCPのURペアとかいう超弩級爆弾付きである。そんなもんでライブから帰ってきた後、脳みそはライブの感想を吐き出していたものの、私の指がそれを許してはくれなかった。体内では媒体活動終了と共に封印したはずのスクフェス転入生推しの血が沸き立ち、それを間10か月で投下された推しCPのURペアで心拍数5倍になった心臓が送り出していた。いわゆるセルフ祭り状態である。そんな健康状態でまともな感想ツイを書く猶予などどこにあったのか。そして思い出してほしい。こいつは1日前まで寝込んでいたのだ。そもそもTwitterなぞやってる暇があれば寝ろという話だし、実際こいつは夜8時以降浮上していない。おそらく寝たのだろう。本当のところは覚えていないのでよくわからない。

それから体調は無事回復し、URは泣く泣く見送りを決め、体が感想を書くことに納得するまで3日ほど要した時、冷静な脳みそは重大なミスに気付いてしまう。

 

完全に!!!ツイートするタイミングを!!!逃してるじゃねーか!!!!!!!!と。

 

 

Twitterは万能の記録ツールではない

そもそも流動性が高いTwitterでは、その場で感想ツイートを吐き出してライブの高揚感が残っているうちに感想をやり取りするという手法が一般的である。裏返せば、突然3日前に行ったライブの感想をTLへ垂れ流し始める阿呆はあまりいないということでもある。

しかし、私は感想を言いたかった。開幕トキランでなぜか大号泣した話からやっぱりマンスリー潰さね?というちょっと真面目な話までいろいろしたかった。しかし、あの時。ライブ直後に供給過多で殴られていた時。沸き立つスクフェサーの血に、自分は抗えなかった。しかし遅くなったとしてもライブの感想は言いたい。そんなときに思い出したのが、はてブロ開設というソリューションだった。

要するに、ブログならちょっと時期を外したり長文をたれ流したりしても許されるだろうという安直な発想である。こんな動機で本当にすまない。

また、語り始めるとこのような長文になりがちなため、長文向きのアウトプット手段が欲しかったのもある。毎度毎度連投ツイートをしたりふせったーで超長文補足をつけたりするのも若干不便に思えてきた頃合いだ。書きにくいし埋もれるし。そのため、これを機にいろんなものを垂れ流せる場所を作るのもありだと思った。

 

 

 ブログはじめました

……という諸々があり、今回ブログ開設に踏み切った。余分な深読みと自分語りが大好きなオタクが長文を置いてほったらかしにするブログになる予定である。そうなる未来が見えるからおそらくそうなる。あと当人が飽きっぽいかつぞんざいなためオタクが盛大に殴られたときに長文が吐き出されるタイプのブログになると思う。そうなる未来が見えるからおそらくそうなる。

加えて、好奇心だけは無駄に旺盛なためジャンルは多岐にわたることも想定される。読むならその時々で気になるタイトルだけ抽出していただければ幸いだ。読むならの話である。読まないなら記憶ごとインターネットの藻屑にしてほしい。


ということで、皆さんは適度に存在を忘れて頂けると幸いである。あとは未来の自分がこのブログの存在を思い出し、適切に展開してくれることを祈っている。

 

 

 

 

 

 

……虹ヶ咲1stどうしようかなぁ。ブログとはいえ流石に2週間は時効な気がするんだわ……

でもフェス直前に出せばワンチャン……